★健康塾
第一話
『歯の健康について』
(1)日本の子供6歳~8歳の虫歯率はなんと90%以上で平均7本の虫歯があるそうです。
虫歯になると治療も大変、怖い、痛い。治療費もかかる、時間もかかる。
あまり良いことがありませんね。
さてその虫歯ですが、実は甘いものなどの糖分だけでは発生はしません。
歯の表面にいるミュータンス菌が原因のひとつとなっています。
このミュータンス菌が糖分やデンプンを分解し虫歯を発生させる原因となります。
糖分やブドウ糖が分解され、レバン と グルカン という物質になります。
これらはほとんどが飲み物で流されますが、ネバネバした不溶性グルカン
といものが残る場合があります。
この不溶性グルカンと唾液の中のカルシウムとミュータンス菌が歯垢になります。
この歯垢も歯磨きで除去が可能ですが、これもまたみがき残しなどで歯垢が残ると
さらに糖分がこの歯垢に加わり化学反応を起こし、乳酸などの有機酸類が発生します。
この有機酸類が歯の表面のエナメル質を溶かします。
この時点ではまだ歯に痛みはでません。
しかし放っておくと、有機酸類は2層目の象牙質、そして3層目の歯髄まで
溶かすこととなります。ここまでくると、神経を刺激し歯が痛みます。
では生まれたばかりの歯は無菌状態なのにどこでミュータンス菌に感染してしまうのでしょうか?
感染源として考えられるのが、哺乳瓶のミルク、指、箸、キスなど皮肉にも両親からの
愛情表現の行為などでミュータンス菌に感染している恐れがあるのです。
生後半年~2歳くらいまでの間、ミュータンス菌に感染しなかった場合、その後住み着く
菌のバランスができあがるので、新しく入ってくる菌が住みにくくなります。
つまりミュータンス菌が入ってきても繁殖しにくくなるのです。
ではこれらの感染源を2歳くらいまでの間、完全に防げるか、というとこれは非常に難しい問題ですね。
(2) 不安がある子供は虫歯を発生しやすくなる!?
不安がある子供は、ない人より虫歯の子供が10%以上も高い数値であります。
なぜなのでしょう?
これは唾液の分泌が関係していると言われます。
唾液の中の重炭酸塩が虫歯の原因となる有機酸類を中和することにより予防しています。
また唾液の中のカルシウム・リン酸が歯を再石灰化(溶けた歯を修復)しています。
不安やストレスを感じると交感神経が緊張し、唾液の分泌が少なくなり口が渇きやすくなります。
交感神経の過剰な緊張で唾液のよい働きが得られなくなってしまいます。
自律神経を正常に働かせるためにも、早寝早起きなど、食事・睡眠・簡単な運動など
のバランスがとても大事なことです。
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第二話
『日本人が年末年始に絶対に食べるべき食事』
以下 1979年初版 『土からの医療 医・食・農の結合を求めて』 より転載
【 まず、大晦日に食べるソバ、あれは血圧の薬です。借金取りに追いまわされて
カッカッとなったところをソバで下げる。
そして年が明けると、おとそで新年を祝うわけですが、これはお酒というより、
もともと漢方なんです。強壮剤、胃腸薬、その他七種類ぐらいの薬が入っていて、
それをアルコールで煎じて飲むのがおとそでございます。
おとそに続いて、こんどはお頭付でもって魚を頭から食べる。刺身は出てこんとですよ。
それがごまめです。それからまめに達者にって言うじゃないですか。
これは健康の象徴でございます。
豆には必ず胚芽がついていて、この中には酵素はあるし、ミネラル、ビタミンなどが
たくさんあるのです。‘あずき、大豆は肉に劣らず、命ながらえ病なし’なんて、私は肥後
狂句まがいのことを言うとりますが、正月料理の中には黒豆もあればあずきもある。
また、ゴボウ、大根、ニンジン、レンコンなどの根ものもおせちには欠かせません。
根ものは体を暖める薬であるし、大変な消化剤でございます。大根はジアスターゼ
があるし、繊維がありますので、おつうじによく、ニンジンは血圧を上げる薬ともなり、
冷え性の特効薬です。ゴボウは非常に強壮作用があるし同時におつうじの薬であります。
昆布も欠かせません。これは長生きの薬です。カルシウムの宝庫で牛乳が100グラム中
100ミリグラムしかカルシウムを含んでいないのに比して、昆布は100グラム中、
1400ミリグラムも含有しております。
お正月にはこんなものをふんだんに食べて、そして食い過ぎた正月明けの頃、七草雑炊
でもって薬食をやるわけです。それがハコベであり、セリであり、ナズナなどです。
春が来て、三月のお節句ともなりますと、ヨモギを食べさせる。ヨモギは大変な強壮剤で
あるとともに肝臓薬でもあります。インチンコウという漢方薬として知られておりますが
それをわざわざおもちに入れて‘草もち’として食べさせるわけですね。 】 転載終了
日本の先人たちが築いてきたこの食文化。
今一度原点回帰し、食生活を見直さなくてはならない時ではないでしょうか?
最後に同書からの食養生について転載。
一、唾は良薬、胃の薬。噛めば噛むほど効きめあり。
一、腹八分目、胃の門限は九時。
一、小豆、大豆は肉に劣らず、命長らへ病なし。
一、『品物の山で病』となる。これ『癌』といえり。白米は粕(かす)
とも書く。共に読んで字の如し。
一、文明病は砂糖づけ。甘い、甘え、甘やかす。これ文明の
遺産なり。
一、塩はなくては生きられぬ。だが血圧も高い低いは塩加減。
一、農薬は農毒薬の略字なり。虫はコロリと人間はじわりと
殺される。
一、食は生き物、命なり。感謝なくてはいただけぬ
転載終了
第三話
『人の心の成長生理のしくみ』
九州大学名誉教授、日本外科学会名誉会長、日本癌治療学会名誉会長、
フランスアカデミー会員、医学博士、理学博士、人の教育の会代表…
崩壊の危機にある日本の教育問題を危惧し、その原因は現在の日本の
「人間教育」にあるとし江戸の伝統的教育方法を科学的に裏付け、
その見直しに取り組む井口潔さん。
その成長各期の特色を、『ヒトの教育』 より以下転載します。
ヒトの教育 (編著)井口 潔
(1)第一期(三歳ごろまで)
神経細胞は妊娠六ヵ月ごろに最高の数となり、それから減少し始めます。
生後も減少を続けますが、その減少と逆比例にニューロン回路の数は増加して
三歳ごろには大人の八割くらいに達するといわれています。躾は三歳までという
根拠はここにもあります。なぜ神経細胞は過剰に用意されて減少するのでしょうか。
ニューロンが突起を出すためのスペースをつくるための仕組みとも考えられ、自然の妙に驚くばかりです。
適切な養育環境刺激はそれに対応するニューロンに発芽を促し、生得性能力を蘇らせ、
人間としての「基礎的ニューロン回路」が出来上がります。
そして「感じる心の基本」を呼び覚まします。美しいものを見、きれいな音を聴き、
やさしいものに触れて、自分のなかに湧き出てくるその感覚を体験するのです。
感じる心、応える心の原動力は祖先からの生得性能力にあるのです。
養育はただそれを呼び覚ます助けに過ぎません。
養育において最も大切な条件は絶対的愛情です。
不幸にして絶対的愛情とは正反対の環境(例えば幼児虐待)にさらされたような
場合には、人間になる基礎ニューロン回路がゆがめられるので、第二期以後に
いかに努力しても人間化は極めて困難になります。
第一期は早期英才教育のような知識的なことを入れる時期ではありません。
こうして子どもの「内部世界」ができあがり、感性は継承され、
人間化の準備ができあがることになります。
(2)第二期(四歳~10歳ごろまで)
この時期は大脳辺縁系が機能していて、新皮質系がまだ働いていないときです。
「外部世界」を認識して「はじめての驚き」を示し、周囲の状態・時間・空間がわかり、
人との自発的な関わりが始まります。
・・・・・好奇心の時期・・・・・
周囲への好奇心と遊びの連続で、知的興味が開始します。無心の驚き、偏見のなさ、受容性、ひたむきなエネルギーで、第一期で呼び覚まされた感性を実体験します。
・・・・・模倣の時期・・・・・
一心に模倣します。好奇心に連動した遊びは、自分の外部世界を自分に取り込もうとする模倣運動と見ることができます。稽古事、訓練に熱中します。幼児が興味を示すのは周囲の大人の行動や仕草で、これを真似します。安心して真似させたい者を子どもの周囲においておくことは賢明なことで、孟母三遷の教え(孟子の母がわが子の教育に適した環境を選んで三度住居を変えたという故事)を思い出します。
・・・・・無努力の記憶可能の時期・・・・・
寺子屋の素読のように、反復練習が身につく時期です。
・・・・・基本的学力(読み書きソロバン)を身につける時期・・・・・
模倣という生理の特徴を逃がさず、読み・書き・計算の基本的学力を身につけさせること。百人一首でも、算術の「九九」でも、韻をふんだリズムの流れは「無努力の記憶可能」の生理のなかで基本的学力を取り込みます。
・・・・・メルヘン道徳教育の時期・・・・・
第二期の子どもの特徴はファンタジー、想像と空想の世界に遊ぶ能力です。童話や昔話を読んだり聴いたりすることに夢中になります。そこでは正義の勝利を喜び、悪や不正を憎むといったような「道徳的要素」が自分の憧れの童話や昔話の主人公に現れているとき、これらの読み物から真実や善に対する道徳的感情が目を覚ますのです。例えば「白雪姫」では白雪姫に助けを差し伸べる猟師、小人、王子といった助け人は「勇敢・義憤・献身・犠牲・愛・奉仕・誠実」といった徳目を備えています。子どもはこれらの人物に触れて、これらの道徳感情を身につけます。もともと生得的に保有していた道徳的感情がメルヘンの境地で目を覚ますのです。児童文学にはこのような狙いがあるのでしょう。
・・・・・躾の時期・・・・・
子どもには衝動的な行動で人に迷惑をかけたり、傷つけたりするようなことがありますが、そのようなときに親は冷静に、愛情の中にも威厳をもって躾をすると、生涯にわたっての抑止力となるといいます(前頭連合野が働き出した第三期以後では利害の上での抑止は働くかも知れないが、人格の中にはとりこまれない)。
人間として「善いこと」、「悪いこと」のけじめを、はっきりしつけるのはこの時期です。第二期は「善き人」になるための基本をしつける時期です(「善き人」は「善い人」ではありません)。「善き人」になるためには、欲(利己、我儘、金、地位、名誉欲、成功欲等)が妨げになるので、「欲を克服するすべ」を幼年期にしつけることが必要です。何不自由なく育ってきた「よい子」があるとき突然、殺人のような信じられないようなことを仕出かすのは、人間としての「基本的な躾の欠如」に関連があるのではないでしょうか。「子どもの望むままに」というのが昨今の風潮のようですが、履き違えてはいけません。あるときは厳しい「緩急よろしきを得た躾」は必要です。スポーツ、稽古事はこの点で有効なすべを与えてくれます。
広中平祐氏はある講演でこのようなことを述べられました。子どもにはガ・ギ・グ・ゲ・ゴ〔ガ(我慢)、ギ(義憤)、グ(愚鈍)、ゲ(元気)、ゴ(悟性)〕がわかればよいと。
私はこれの対照としてカ・キ・ク・ケ・コ〔カ(賢く)、キ(きれいに)、ク(工夫して)、ケ(堅実に)、コ(こぢんまりと)〕を考えました。これは一般の親が望む「よい子」で、秀才型です。「『ガギグゲゴ』で当たり前の人間になればそれでいいのよ」というのと、「『カキクケコ』にならなければだめよ」というのと、皆さんはどちらをとりますか。秀才になればこれに越したことはないでしょうが、それは結果として考えるべきことであって、幼少期に「カキクケコ」を促すような子育ては生き方の基本を誤る心配があります。
・・・・・生き方の勘を学ぶ時期・・・・・
人間というものは独り立ちをするには、とてもたくさんの慣習を知らなければなりません。例えば、食物を確保すること、調理すること、さまざまな道具をつくること、薬、健康管理に関すること、社会儀礼に関すること、人間同士の付き合い、葛藤等の対応の仕方、病人の介抱、冠婚葬祭等。幼少期の子どもにはこれらの日常生活、社会慣習について大人が行っているありのままの姿を見せることが重要です。これによって、子どもは社会生活のポイントをつかんでしまいます。生活体験学習の意味はここにあります。
(3)第三期(11~20歳ごろ)
大脳皮質系・前頭連合野が機能しはじめ、第二期とは異なる特徴を示し始めます。
・・・・・反抗期・・・・・
自我に目覚め、矛盾に気づき、それを克服しようとする生理現象です。反抗は間もなく自らで処理して、一段上の境地へと進み、自然のうちに高次元の調和を見出して二十歳ごろには、自分なりにまとまった人格に到達するように人間はつくられています。
・・・・・自発的思考期・・・・・
第二期の模倣期を脱して、自発的思考期に入ります。それまでの具象的概念はここで知性的抽象概念に変わり、感性の基盤の上で「知性の仕上げ」をします。判断力・批判力が培われます。
・・・・・知性の仕上げ期・・・・・
現実には上級学校への受験準備の学校生活です。第二期で充分に大脳辺縁系を働かせて充電しておけば(読み書きソロバンの基礎学力だけはつけておく)、第三期になると、学習への意欲がほとばしってでてきます。それが前頭連合野を動かして知性の仕上げをするのです。
・・・・・立志期・・・・・
読書の時期です。自らの感性・知性の調和を確認して「理想を素描」します。そして感性から湧き上がる「善く生きようとする力」と社会活動をする「手段の選択」で、志を立て、職業を選び、必要に応じて職業教育を受けます。
志を立てるにはそれなりの時間が必要です。受験勉強の明け暮れでは自分の将来を決めるゆとりはないでしょう。学習の「ゆとり」とは現実には第三期にこそ必要です。昔の旧制高校のころは、三年間は受験に妨げられることなく、「志」のことだけを考えておればよかったのです。
第二期において幼少期らしい時期を過ごしていれば、第三期になれば期が熟して知的学習に自発性を発揮するようになるものです。幼少期に第三期の前倒しのような塾勉強のようなものに精を出し過ぎていると、第三期の本番で燃え尽き現象が起こり、自発的学習の意欲が減退する恐れがあります。
(4)第四期(社会現役)
このような過程で社会に出ると、自己発見の道を進むことになりましょう。しかし実社会で、自分を見失わないで必死で志を遂げようとする生き方の人を「シニア成人」、わかってはいるが要領よくやろうと構える人を「ジュニア成人」としましょう。後者はアイデンティティー・モラトリアムともいうべきもので、定年後は自分というものがないから淋しい人生になりますが、前者は健康に恵まれれば尊敬すべき高齢者になります。人生半ばにして、本当の「シニア成人」として出直そうと決心すれば、大脳辺縁系の「生きる力」には正のフィードバックがかかりますので、人生で手遅れということはありません。メリトクラシー(学歴社会)が崩れ始めた現在、人生半ばにして志を見直して納得のいく人生に立ち上がる社会人を期待します。
(5)第五期(高齢期)
高齢で驚異的生涯の尊敬すべき人物がいます。曹洞宗永平寺の宮崎奕保禅師は道元禅師から七八代目の管長、開祖以来の最高齢の一〇五歳(二〇〇五年現在)。一一歳のときから九四年間、ひたすら座禅を続けて少しも変わることなく、「善き人」になれと釈迦の教えを説き続けています。貝原益軒は五〇歳のころから三一巻の著書を出し、『養生訓』は八三歳でまとめ、八四歳で死去。画家の奥村土牛は六〇歳で芸大の教授、日本芸術院院長は八九歳、大作「吉野」は九〇歳頃に描いています。カザルスとの共演で有名なポーランドのピアニスト、ホルショフスキーは八九歳で初婚、一〇一歳で死去するまで現役活動を続けていたといいます。
ヘルマン・ヘッセはいみじくも「人は成熟するにつれて若くなる」と言っています。第三期で志を立て、第五期で志を納める。「二〇歳の青年よりも七〇歳の老人に青春がある。人は理想を失うときに初めて老いる」(サムエル・ウルマン)、「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜をおそるるなかれ、一灯を頼れ」(佐藤一斎)、「理想の大道を行きつくして路上に斃るるその刹那、わが過去を一瞥のうちに縮め得てはじめて合点がいくのである」(漱石)等の先達の言葉がとても身近に感じられるのです。
高齢になると知性よりも感性の豊かさに悦びを感じるようになります。知性の現実を体験して無駄を知り、夾雑物を払い落として身軽になったポスト知性の高齢者と、知性に憧れ、それに大きな期待を懐いているときのプレ知性の青年とはそれぞれに感性を求めて互いに引き合うのです。ここに「幼老共生」の概念が生まれます。
転載終了
難しい内容ではありますが、何かプラスになるきっかけを得ていただければと想います。
更新中